劣等感

常に劣等感と戦っていたのだ。


そう気がついたのはつい二週間ほど前のことだった。


京都大学の大学院の入試、自分は苦戦が強いられていた院試であり、複雑な気持ちで京都に降り立った。失敗したときのことを考えずにはいられない。それが自分を肯定する唯一の手段だった。
京都での一つの院試が終わったとき、正直受かったと思った。二次選抜とは言え、ボーダーはそこまであがらないと思った。そこから京都での生活は自分の気持ちを楽にした。ずっと何かつっかえていた気持ちが自分にはあり、それがとれたことに驚いていた。何であろうか。


それは京都大学に計4回受験したにも関わらず、ことごとく落とされ続けたことによる挫折と、そこから生まれる劣等感だった。


自分は京都大学に進学できるという気持ちが現実的になったとき、この気持ちが楽になり、新しい生活、また変わった視点で生活していけるのではないかと感じた。ずっと京大に行ったときよりも充実した生活を送ろうと思いながら、大学4年間過ごした自分。就職活動でも、一流大学に行く人たちには決して負けていないと思った。現に負けていなかったと思うし、そのおかげでどの企業も良いところまでいけた。でも何かが自分には足りなかった。

その足りない自分を探す二年。そう心に決めて大学院に進学しようと決めた。場所はどこでも良いと思ったが、やはり自分は京都への思いは捨てきれていなかった。


受ける大学は自分の大学と東大、京大。第一志望は京大だった。自分を捨てた大学を見返してやりたいという気持ちもあった。リベンジだった。もちろん受ける研究科はレベルが高くないと思うが、自分の研究と照らし合わせたところしか受ける予定だったので構わなかった。とにかく入りたい。



心が折れた時なんていくらでもあった。辛いと思ったときなんていつもだった。落ち続けていたときは死にたいとも思った。


補欠という結果を知り、来年のことを考えていた。そうして動き出せていた。現在1日の勉強量は院試時よりは落ちたといえども6時間程度は勉強をし続けている。物性や固体化学はもちろん、経済、金融、英語など勉強しはじめた。


「時間が足りない、もっと勉強しないと」


そう心から思えた。もっと、もっと勉強して、世界の第一線で活躍できるような人材になりたい。そう決めたら、いまだに英語がしゃべれない自分が非常に恥ずかしく、情けなかった。一生懸命勉強をしようと思い、必死に勉強していた。

今日も、研究室で英語の論文を読み、教科書を読みあさっていた。ただ、いつもの日よりも今日は特別だった。







今日は最後の第一志望としていた院試の合格発表の日だった。

「合格発表なんてこの世で一番聞きたくない」

そういう冗談を研究室の友人と話していたとき、連絡がきた。友人からの結果報告だ。







「どんな結果であろうとも、自分は必ず這い上がってみせる」






そう思いながら、彼の電話をとった。


彼の口から合格者の受験番号を順番に聞きながら、自分は何も言えなかった。ただ聞いていただけだった。何を言っていいかわからなかった。どの言葉をまず言えばいいのか。

そうして出た言葉は、一通り彼が合格者を全て言い終わりそうだった時だった。




「もういいよ」



彼の口が一瞬止まり、「どうだった?」と聞いてくる彼に、こう答えた。










「受かったよ」


彼から祝福の言葉を受け、その言葉を聞いているうちに、「やっとスタートラインに立てたんだ」と思った。俺はここから巻き返す。本当の戦いはこれからだと思った。

一通り、お世話になった人達に合格の報告をした。久しぶりにたくさんの祝福の連絡を頂き、本当に嬉しかった。



かつてのブログのタイトル「Realization、京大へ行く(今は駿台)」の最後の余計な言葉がとれたことに、喜びを感じながらも、新たなスタートのためにまた自分は準備を始めて行きたいと思う。




追伸

現在のインストラクター職は退職することが決定しました。このブログを読んでいて、インストラクターとして私を知っているお客様の方々にお願いがあります。(といってもいるかいないかわからないんですが)

まだ具体的にいつ辞めるなどの事も決まっていない為、このブログだけの秘密にしておいてください。個人的にはいつまでに退職すると決めているのですが、それが上長の許可がおり次第、発表する予定です。

自分はどの世界に行っても、この世界で養った力を生かし、新たな自分を手に入れて行きたいと思います。今迄有難う御座いました。