人生の辛さとは

人生の辛さとは何だろう。


その壁にぶち当たっている。自分がどうすればいいのかわからないし、どうしたいのかすらわからない。

人生の辛さとは、間違いなく考えても答えがでないことなんだろうと思う。

考えても、考えても、何に対しても正確な答えというものは存在しない。全てのことに対し、懐疑的である。
今も、自分は考えても、何にも答えがでてこない。

何で思うようにいかない、何でできない、何でこうしたくならない、何で辛い?

全てに対して答えは存在しない。それは単純に複雑な問題、たとえば人と人との関わりあいの場合は、その人のバックグラウンドなどに左右されてしまうため、自分の理解だけではままならない。またそういった問題以外、たとえば自分自身の問題である場合も、自分の知らないところで受けている影響だったり、環境、そして何より自分自身を理解しきれていないというところに起因するのではなかろうか?


今、正直人生というか生きることに対して辛い。何を目標にしているのだろう、何の為に生きるのだろう、何で生きるのだろう。こんな様々な問題に対して、答えがでないことは非常に辛い。

友人が自ら命を絶ち、3ヶ月しか経っていない。私は、歳をくってしまったためか、最近は物事の時間変化の傾きが非常に高くなりつつあるが、この問題に関しては、もう1年も2年も前の話のような気がする。それはいまだ、直面しきれていないという理由であるからかもしれない。

 
あの世というものがあり、こちらをのぞけるのであれば、彼は今どう感じているのだろう。後悔しているだろうか。私は、彼に聞いてみたい。「何で生きられなかったのか」


生きるということの延長線上に死があるのではない。生きていることのすぐ傍で、息を潜めているのが「死」なのだ。それは本当に、すぐ傍にあり、それこそ今から立ち上がって冷蔵庫に飲み物を取りにいくのと同じくらいたどり着くのは簡単なのである。

考えても、どう頑張っても、生きるということの辛さから逃れられない場合、その息を潜めているものに手を伸ばすのは時間の問題でもあると考えられよう。


もちろん考えてもわからないから人生というのは楽しいではないかという意見もある。これは確かにそうであるし、私も実際そう思う。しかし、それは裏を返せば、今のこの私が陥っている状態にもなりうるのだ。

わからないことがたくさんある。見えないことがたくさんある。どうしていいかわからないこともたくさんある。そしてなにより、自分はどうしたいのかわからないこともたくさんある。

まったく見えないこの人生。私はどうすればいいのか、途方にくれている。