今日から大学

夏休みも終わり(といっても、ほとんどバイトしかしていなかった)、これから大学です。


あれ?今日1、2限あんじゃね?


まあそれはおいといて、いろいろと考えるところもあります。もちろん先日の日記に関してです。

いろいろとその後、彼の高校時代の友人だったりとかと連絡を取り、自分なりにもこの話はまとめ、そして心の奥底にとどめておきます。


人は支えあって生きているんです。これは本当に。

どんなに自分が孤独だと思っても、そんなことないのです。必ず自分のことを考えてくれている人間って、思わぬところにいるんだよ。

かつて自分は死という様々な形の中に、自殺という自ら命を絶つという行為に肯定的でした。まあもちろん他人に迷惑をかけない範囲でですが・・・。いやでも他人に迷惑をかけるのも「生を刻む」という観点からいけば納得のいくものです。そして自分はいつか自殺をしてしまう人間なのではないかとぼんやりながら思っていたこともあります。

実際、そこまではいかなかったですが、「死にたい」とか「消えてなくなりたい」とか本当に思ったこともあります。自分がバイクに乗るのが好きなのはスリルを求めているのではありません。死と隣合わせの瞬間こそが自分が生きていることなのです。

もうどうしようもないってぐらい心が病んでいたときに、以前ノープランでバイクで遠出しましたが、死ぬほど飛ばして「ああ、これで死ぬかもな」って思ったら自分の悩みなんてある程度楽になったこともあります。

そして何より自分は自分の選択に対して、言い訳や逃げたりしないっていうのは心に決めているので、その選択の結果すごい追い詰められたとき「ひっそりとこの世から去るのもいいかもな」って思ったりもしました。これはイントラ業をやっていて、丁度ネットでの誹謗中傷が酷かった頃に思いました。自分で人気になればいつか叩かれる、前任のマネージャーもそうだったように、目立てば叩かれるってわかっていたはずなのに、どうしても辛かったあの時期。まあ今はもう見てないですし、たとえこのブログが晒されようとも、自分は自分の生き方を別の視点から導いている手段の一つにしか過ぎないので、関係ないですが。

自分はさまざまな壁を乗り越えて、ここまでやってきました。学歴レースからも脱落せず、恋愛レースからも残り(「僕の小規模な失敗」風に)、自分で言うのも何ですが、立派に育ったなあって思います。これもそれも親がレールをしいてくれ、それを周りの人が支えてくれた。時には助け、時にはいい競争相手として。浪人時代に夢見た自分に着実に近付いている気もします。特にネットでの叩かれるのはいい修行になりました。自分には自分の道があって、それが理解されなくても(もちろん理解されるよう努力しますが)、自分に驕らず(これが一番大事)努力し続けていればいいのです。そんな自分だからこそ、就職は別に自分の学歴なんか関係ない所にでも就職したいとも思います。

壁にぶち当たっている最中は、ストレスもたまります。孤独です。何で周りはみんな理解してくれないんだ!とか思ったりしたり、誰にも相談できないこともあります。相談というのは最も勇気のあることなのです。僕自身、相談できずに潰れかけていた頃もありました。
でも僕には相談できる友人がいて、その相談内容に対してしっかりとした返答をしてくれました。同じ内容でも、そういった信頼できる友人がいれば変わるのです。大変友人に恵まれていると思います。

友人が死んでから、それに関わる人達はみんなさまざまなことを考えました。その事実さえあれば、彼はこういった選択をしなかったのではないか。

いつでも寄りかかってきてもよかったんだよ。みんなそうだったんだよ。と僕はあいつに怒りたい。



様々なことで彼を思い出します。

大学の話をしたとき、あいつとよくいった天狗の看板をみたとき、電車で人身事故の放送をしているとき、子どもをかわいがる親の姿をみたとき。


一瞬ですが、ぼーっとして考えてしまいます。そして溢れそうな涙をこらえ、強く生きるのです。


俺だけじゃない、彼と深く関わっていた友人達はみんな。




彼の選択の結果とはそういうことだったのです。