なんでもいい。ただいてくれれば。

きっと、今かかえている悩みも3ヶ月後には忘れ去っていて、さらに言えば1年後には笑いのネタにしかならないのかもしれない。

今何が起こったかわからないが、良い方向に物事が進んではいないことは確かである。

どんなに悪い状況でも、ここから何か奇跡がおきて、良い方向にいくのではないかと思ってしまう。そしてそんな淡い期待と、現実の残酷さが、さらに自分を苦しめていくのであろう。

意味深な日記を書いて、これで未来に読んだときに「ああこんなこともあったなぁ」って思うことがあるのかなって思いながら書いても、実際は「何があったんだっけ?」と忘れてしまっている。

忘却とは非常なまでに残酷である。だが時には救いにもなる。



今のこの状況を忘却という形で抜け出したい。救いや、逆転をもとめない。自分も消え去るという形でもない。ただただ、忘れたい。それが自分にとって最善の策ではないのではないか。

自分はインストラクターではあるが、スーパーマンではない。お客様は俺が全てお客様にとって最良の形としてあることなど不可能であるということに気が付いていない。動きを間違えればダメだしをして、マイクの調子が悪ければ俺のせいにし、さらにおもしろくなければつまらないという。もちろん間違えのないようにはしたいし、マイクの調子だってよくみている。いかにおもしろいかも考えている。ただ俺も一人の人間であって、自分はプロ意識をもっているつもりであるが、いかに練習しても、失敗はある。いかに勉強をしても、計算間違えだってあるでしょ。人間なんだもん。もちろんそれを少なくする努力はする。

スーパーマンじゃないんだよ。あの人だって辛いときは俺のせいにして、自分の選択の可能性があったことを考えていないのは俺が辛いよ。俺は結局人間なの?何なの?

自分の存在価値なんて本当にないと思う。




そんなことを思っていても、今日と昨日のレッスンのテンションは最高潮だった。どっちも大好評だったからこそ、やはり自分という人間がいかに単純であるかということに対して絶望すら感じるよ。ただ単に存在を意識するだけでそうなれるんだから。

もう何でもいいよ。ただそこにいてくれれば。それだけで俺は十分に仕事をこなせる。そんな単純な人間なんだよ。


これからの人生、自分はどう人に影響を与え続けていけるのであろう。もう自分はどうすればいいのであろう。
考えるのは疲れたからもう寝よう。おやすみ。