読書熱

さあかつては月に20冊とか読んでいた本も最近はめっきり読まなくなった。


単純にアルバイトを本格的に始めて時間がなかったからというのがもっともらしい言い訳だが、正確には大学にいかなくなかったことによる読書時間の不足である。今までは大学の授業中に読んでいたことが多かったが、大学にいかなくなれば、当然のように本を読まなくなる。

正直、授業にでなくても幸いうちの大学は試験の成績さえしっかりとれていれば単位はくるので授業にいくのがバカらしく思えてきた。単に教科書をわかりやすくよみかえている授業なんて必要なのであろうか?と思い、大学にいかなくなった。それでも単位は取り続け、今年で多少ミスっても卒業単位に達するようになった。
自慢のつもりはないが、正直にいって他の学生に比べ、要領がいいというべきなのか自分のような学生は学年見渡しても自分だけである。大抵は途中で単位がとれなくなってきていたりする。というか真面目にいっている学生ですら単位が危ういという学生はうちの大学は非常に多い。


まあ話がそれてしまったが、要するに読書する時間もつくらなくなったし、それだけ夢中にスポーツジムのアルバイトとそれに付随して自分でのトレーニングの時間を多くした。週6日アルバイトをこなし、そして終わった後は夜の2時までトレーニングの日々が続いた。

本は強制しない。自分が無関心であれば、本との距離は確実にひらいていく。

そんな開いた距離が最近になってまた縮まってきた。誰に言われたわけでもなく、何かに影響をうけたわけでもない。単に寝る前の30分と起きてからの30分を読書にあてることにした。単純にトレーニング後で眠れないっていう理由もあるし、なんとなく読書の後は寝つきがいいし、寝起きもいいのだ。
一回火がつけばどこでも本は手放せなくなってくる。時間があけば読書をしている日々を最近はすごしている。海外文学に手を出し始めたり、岩波青に手を出し始めたり、またはトレーニングなどの専門書であったり・・・。海外文学に手をだしたら、原文で読みたい気持ちがかなりでてきて、また英語の勉強もしはじめている。

単純に「ああこれが知的好奇心なのかな」って最近思っている。そう考えれば、自分には時間が少ない。もっともっといろんなことを勉強する時間がほしい。そしてそれは自分の専門の物理学にも適用されてきた。

というわけで時間がないのです!!!やりたいことはたくさんあるのに・・・。でも最近、自分がよく理解できるようになってきて、自分という人間は「自分のために」何かを行動する人間なんだなってことだ。まあこれは全ての人に適応されるわけだが、とりわけ自分は向上心というところに重きを置いているなと感じる。向上心とはちょっと違うかな・・・。うまい言葉をみつけることはできないが、とにかく内面に重きをおいている。

金のために働くのはもちろんだが、自分の中で今のアルバイトは金のためにじゃなく自分のためにという点が非常に大きい。金のために楽なバイトを選ぶということは自分としては単なる金の奴隷となってしまっているだけじゃないかと感じる。もちろん金の奴隷にならなくてはいけないときもあることはここでは抜かすが。だがこれからも自分は自分のために何かを行動し続けたい。