ひさしぶりです

いやー、放置していたわけじゃないですよ。実はいろいろあったんです。


まず!!!6月末で前のあの家を出ました!風呂無しの部屋で生活するということがどれだけ大変かは、多分俺とハセしか渋々の中ではいないのではないか・・・?ということでユニットバスですが、家にお風呂がある家に引っ越しました。家でシャワーを浴びられることに少し感動しました。あの感動はおそらく皆さんにはわからないでしょう・・・。

ということで、ネットがない生活を送ってました。もともと前の家に住んでいたときも、ネットとテレビは最初の頃なかったけれども、やっぱりあんまり必要じゃないのだな。っていうか忙しくて、あんまり見る暇もないのか。テレビなんか特に。

でも、ずっとこの日記は書きたいとうずうずしてました。やっぱりはけ口は必要なのですね。自分は根暗なので、あんまり他人に深い自分の話をするということはありません。というかハセぐらいにしかしません。なので、決して放置をしていたわけじゃないんです。

今の家は大分広いです。2DKです。ハセが和室で、俺が洋室。最初どっちがどっちでもめましたが、ぶっちゃけ生活しはじめると関係ないのね。まあさっそく俺の部屋もハセの部屋も汚いですが。


まあでも約2ヶ月ちょっとですね。いろいろありました。なんか、前の日記を書いた日が相当昔に感じられます。でもこれって、この2ヶ月を濃いものにしたという表れなのでもないでしょうか?自分としても非常に充実したものになりました。いろいろ考えることもありましたし、自分との戦いの日々だったと思います。もはや、この日記は前のブログから続いて俺の普段の生活を綴っていたはずなのに、いつの間にかインストラクターとしての日記になってしまっています。自分の生活がいかにこの世界にはいりこんでいるという表れでもあるとは思いますが。


何をやっても辛いときもあれば、何をやっても上手くいくときってあります。自分は特にその繰り返しでした。辛いときはやはり続くので、我慢して、悔しさをわすれず努力していきます。臥薪嘗胆です。そんな奮闘を日々繰り返します。
正直、嫌気をさしたときもありました。今まで自分が熱中してきたものは、すべて明確は目標がありました。野球のときだって、甲子園に行きたいって思って練習に励み、まあその結果が勝利だったり、そしてあの2004年の夏である世田工戦の惜敗だったり。ラストバッターで三振したときは、「ああ、自分が高校3年間頑張り続けてきたものはここで終わりなのだな」ということで涙をしました。全然強くないチームだったけど、甲子園を狙って近い位置にいたあの世田工と互角でわたりあえた。この前、母校の試合がありました。自分達も強くないけれども、正直今の代は本当に弱いです。初戦で大したところでもないのに、コールド負けで負けてしまいました。投手はストライクが入らない、ストライクが入っても打たれる。打ち取ってもエラーする。そんな光景を見て、悔しかった。言っておきますが、選手の親とか応援している人たちも悔しいとは思いますよ、でもOBで特に歴史を作ってきた俺とか今も大学でやっている奴等とかのほうが悔しかったはずです。試合の日には俺の最後の夏に戦った世田工の人たちからもメール来ました。でもそんな彼らの期待にもこたえられない悔しさ。まあ当然一番悔しいのは選手だとは思いますが。終わった後に、OBを引き連れて飯を食いに行きました。まあもはや、応援に来ていた野球部のOBの中でも自分は一番上になってしまったので、全部奢りましたがw。でもあの時OB達は、ほとんど野球に関する話をしなかったと思います。でもやっぱり自分にとって母校は一つだけだし、そしてそこのOBは自分にとって大切な仲間です。同じ代でやった奴は今でも交流ある奴はいますし、キャプテンだった奴は子どもまでいます。最後活躍できなかった奴、1年から3年までチームの中心にいた奴、みんな努力をして最後まで野球部の辛い練習に耐えた仲間です。


浪人していたときも、たった1年ですが、何よりも濃い一年でした。京大に行きたいという気持ちで、努力しました。別に今からすれば京大だって理科大だって、別にどっちでもいいんじゃないか?って思いますけど。たしかに学歴はどうでもいいんです。よく就活終えた友達に、「学歴なんてどうでもいい要因だよ」とか言われますが、自分にとってあの1年は京大に入るのが全てだったし、何よりあの時のあの努力は今の自分を支えています。たしかに学歴はどうでもいいのかもしれませんが、学歴とはその受験生のときに、自分に妥協せず努力したという結果でもあるのです。なので、よく自分は理科大に入ってしまった甘さを憎く、この悔しさは忘れないと入学式のときに思いました。ハセの言葉を借りると、「たどりにたどると学歴社会は正しい」です。自分もハセもかなり学歴にこだわるほうだとは思います。ハセは受験生時代自分には最高学府は無理と判断し妥協した結果で入った早稲田、自分は京大を目指したがダメで入った理科大。まあでも二人とも別にしっかりしていれば学歴なんてどうでもいいものだと思っています。学歴が悪いわけではない、学歴で判断されてしまうぐらいだらしない人間が悪いんだ!
まあ結局あのとき浪人の友達とは今でも縁があって、というか一昨日も麻雀を早稲田で打ったんですが、結局あの友達の中で、京都大学に入った人だったり、俺と同じで早慶理科大に入った人だったり、もう1年頑張って京大に入ったり・・・。選択はそれぞれですが、今だから言えます。どんな選択をしても、やっぱりあの時みんなで苦労した1年間は大切で、そしてみんなそれぞれの道にいってもやっぱり頑張ってます。いろんなところに旅をしていたり、体育会に精を出したり、オーケストラを頑張っていたり、そして俺は学生だけどインストラクターとして頑張っていたり・・・。もちろんこの他にもいろいろいます。でもみんな芯はしっかりしていて、やっぱりあの時の友達は最高の友達であって、これからも自分にとって大切な友達であります。

明確な目標の元に、集まる仲間、友人、そんな中自分は努力してきました。そして成長してきました。今も、確かに仕事に仲間がいます。そして先輩も後輩もいます。でも今の明確な目標って何だろうって思ったときに「人気のあるインストラクター」っていうのは、明確ではなく曖昧だと思います。でもそんな曖昧な感じを認めるからこそ・・・ってのもありますが。日々の業務が全てにつながります。毎日のようにあるレッスンで、いかに集客し、いかに楽しませるか。レッスンを作るのはお客さんなのです。自分はその手助けをするだけ。その手助けがうまくいかなかったなぁ・・・って思う日もあれば、今日はうまくいった!など思い続ける日々です。先週47人入って、今週は40人しかいなかったらそれだけで、来週は10人ぐらいになってしまうのではないかと不安になります。よくレッスンにお客さんが入ってない夢をみたりもします。レッスン直前なんて、死ぬほど不安です。これから1時間自分はみんなを楽しませることができるのか、そしてお客さんも入ってなかったらどうしようか・・・。
明確な目標があったからこそ励ましあえた仲間は今はいません。よく同い年でダンス系のプログラムをもっている奴とは仲いいですが、やっぱり話合う内容は「いかにして人気になるか」。でも持っているプログラムも違うし、話は一般的に適用されるようなものでしかありません。いかにレッスンの中に自分の個性も入れながら、でも丁寧で、お客さんをたのしませるように・・・。具体的な方法はないのです。野球には具体的なフォームがあり、打てなければ監督やコーチが原因を探ってくれ正しいフォームにしてくれたりします。勉強には参考書や先生がいて、自分の間違いなど直したり、正しい考え方を教えてくれます。でもこれは違うのです。レッスンも一人だし、わかっていることはそういう一般的なものだけなのです。これを踏まえた上での今行っている努力は正しいのか?それすら不安にもなります。なので常に不安なのです。

何のためにレッスンをやっているのか?それはお客様を継続させたり、新規のお客様を固定させたりするため。じゃあそのためにどうすればいいのか?今のお客様にも楽しんでもらい、初めて人が自分のレッスンにでても、ちゃんと動けるように指導する。後者の方は、経験っていう部分が大きいのはわかってます。しっかり自分で動きながら考えて、いろんな本を読んだりして、いろんな言い回しを覚えて・・・ってやっていけば確かに後者はある程度うまくいきます。そうやって努力もしてます。でも難しいのは前者のほう。

自分のレッスンは他のインストラクターとは異なります。特にコン○ットのほう。これが正しいのかわかりませんが、でも自分としても、「どこにでもいるようなインストラクター」にはなりたくないのです。何かで差をつけたい。だからこの形からどんどん修正して、自分の形を作っていきたいと思ってます。もちろんこの努力は無駄になるかもしれません。なので常に不安との戦いです。明確な形で結果がでないことにも不安があります。


そんな中、嫌気がさすこともあります。最近やはり多かったのがネットでの誹謗中傷。一時期も多かったですが、最近もまた酷いです。自分の努力自体、彼らにとっては無意味なものでしかないのです。自分の存在自体、必要じゃないのかなって思ったりもします。不安が続くと、これが更に心にダメージを受けます。
でもやっぱりそういった中、支えてくれたのは仲間でした。先輩や後輩。そして何より、支えになってくれたのは自分のレッスンによくでてくれるお客様。そんな人たちのためにも自分は弱音を吐いていてはいけないのだなって思いました。当たり前で、ありきたりですが、今まで自分は自分との戦いをテーマに掲げ努力してきましたが、やはり周りの人というのは自分にとってとても重要で、そして大切なのだなと再認識しました。

今もなお続く誹謗中傷ですが、自分はそういわれないような立派な人間になって、昔の日記で書いた(前のブログでタイトルは「君たちはどう生きるか」、このブログはもう読めないですが)ような人間になりたいです。